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名古屋家庭裁判所 昭和63年(少)4214号 決定

少年 G・S(昭44.4.3生)

主文

少年を中等少年院に送致する。

理由

(非行事実)

名古屋保護観察所長作成の昭和63年7月21日付通告書の別紙(二)(通告の理由)欄記載のとおりであるからここにこれを引用する。

(要旨 少年は昭和62年8月21日当裁判所で保護観察に付され「暴力を振わないこと、仕事を真面目にすること」その他の特別遵守事項を定められてその遵守を誓約したのにその直後から保護者、保護観察官、保護司の再三の指導や監護に服さず、殆んど就労することなく無為徒遊の怠惰な生活を続け、その間昭和62年9月24日夕食時に突然「うるさい」などと怒鳴り電話線を千切って電話器を母に投げつけたり本箱を蹴飛ばし、止めに入った妹G子(8才)を蹴飛ばすなどの乱暴をし、同日午後10時30分ころ父が帰宅して少年の行状を注意したところ父と取っ組み合いの喧嘩をし、「ぶっ殺してやる」「庖丁を持ってこい。一対一でやってやる」などと暴言を吐くなどして警察職員の補導を受けたのを始めとして現在まで数度にわたり同様の暴力、暴言を繰返し、テーブルを引っくり返したり、物を投げつけてガラスを割ったり、父の自動車を蹴りつけて凹ませたり、塀をバツトで叩いて壊わしたりしたほか本年3、4月頃には庖丁を持出して父を威嚇する行為も二、三度あり、このような家庭内暴力をますます高進させており、このまま放置するとその性格、環境にてらして近い将来さらに暴行、傷害等の罪を犯すおそれがきわめて強いものである。)

(適用法令)

少年法3条1項3号イ、ニ

(処遇理由)

本件非行は少年のいわゆる家庭内暴力を主たる内容とするぐ犯であるが、前件による保護観察も直接には窃盗の非行を契機、対象とするとはいえその要保護性の中心は同様の家庭内暴力の点にあったことは前件決定書において指摘したとおりである。

少年はもともと中学時代いじめの対象とされたことから登校拒否など学校不適応を生じ、資質的負因と家庭における対応や家族関係のまずさも加わって次第に家庭内暴力が歴然となりさらにこれが高進することとなったものと思われるのであるが、前件時すでにその状態は家庭崩壊の危機に瀕していると表現したような惨然たる段階にあったと思われるのである。

しかし保護観察の適切な指導、監督や補導、援護によりたとえば少年が家庭から離れ他に住込就職するなどの方法により、そこに定着して一定の時間的、物理的距離を家族との間におくことができれば或いは回復可能な病症ではないかという期待があり、前件処遇決定もこのような手段に希望を託していた点が少なくない。そして保護観察所も現に少年のその後も依然として芳しからざる行状に鑑み、更生保護施設への収容やそこからの住込就職の斡旋、○○教会への修養生活委託など種々の方策を考え実行してきたことは観察経過に明らかなところである。しかるに少年は対人関係の対応の貧しさや社会的に未熟で感情統制が悪く独善的、被害感過大の自己中心性のためにいずれの生活の場、職域においても長続きがせず、再び家庭に復帰して怠惰で自閉的な生活に戻ってしまうのである。

資質鑑別や調査結果によっても少年の資質、性行は前回のそれと基本的には変らず上述のような少年の非社会的性情を中心とした情緒障害に加え、最近まで改善されない怠惰かつ不規則な生活習慣が加わって問題はいよいよ根深くなってきたといえる。基本的には家族とくに両親とは深刻な対立関係にありながら心理的にはこれに依存せざるをえない甘えがあり、それと表裏の関係の少年の我侭が本件の実態とみられる。もともと知能等においてもやや低格であるにも拘らず背伸びして見栄を張る傾向があるといわれ、また対人関係の円滑を欠くところから緊張が高まり随所に不適応を生ずるものとも指摘される。少年なりに自己の行為を合理化するためか、饒舌であるが実質的な内容を伴なっておらず、結局は未熟な自己を露呈するしかない。

家庭は以前にもまして危機的、病的状況にあり、母は少年との接触に恐怖感が先立ち心身症的なアレルギー状態を呈し、完全に逃避ないし拒否的態度であり、父も以前の傍観者的態度を維持できなくなって少年の暴力事態に直面せざるをえなくなったものの、少年の暴力が父自身や弟妹にも及んで家族全体を病的状況に追いこんだことからやや開き直って少年を見捨てる覚悟をきめるまでに至っており、他の弟妹に及ぼす悪影響はいうまでもない。

かくして少年は現に自立能力はなく家庭の健全性は著しく害せられ、保護観察による処遇も限界に達していることから、少年に対してはこの際家庭から隔離して自身にはその資質矯正をはかる教育を施すとともに、その間少年の家庭の健全性を回復させるべく相当期間の環境調整の方途を講ずる必要があると考える。

そこで少年を中等少年院に送致することとし、少年法24条1項3号、少年審判規則37条1項、少年院法2条3項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 上本公康)

〔参考〕通告書

通告書

名観観発第3号

昭和63年7月21日

名古屋家庭裁判所___支部殿

名古屋保護観察所長 ○○

下記の者は、少年法第24条第1項第1号の保護処分により、当保護観察所において保護観察中のところ、新たに同法第3条第1項第3号に掲げる事由があると認められるので、犯罪者予防更生法第42条第1項の規定により通告する。

氏名

年齢

G・S

昭和44年4月3日生

本籍

名古屋市○区○○×丁目××番地

住居

愛知県西春日井郡○○町大字○○字○○××番地の×

保護者

氏名

年齢

G・Z

大・〈昭〉19年4月28日生

住居

愛知県西春日井郡○○町大字○○字○○××番地の×

本人の職業

無職

保護者の職業

○○株式会社 社員

決定裁判所

名古屋家庭裁判所__支部

決定の日

昭和62年8月21日

保護観察の経過及び成績の推移

別紙(一)のとおり

通告の理由

別紙(二)のとおり

必要とする保護処分及びその期間

少年院送致相当

参考事項

添付書類

1.質問調書(甲)(乙)各2通

2.誓約書(写)1通

3.面接票(写)1通

別紙(一)

(保護観察の経過及び成績の推移)

1 少年は、昭和62年8月21日窃盗事件により名古屋家庭裁判所において保護観察処分の言渡を受け、同日父母とともに当庁に出頭し、担当保護観察官(以下「主任官」という)から保護観察について説明を受け、遵守事項を誓約し、担当保護司(以下「担当者」という)として、A保護司を指定し、保護観察を開始した。

2 翌22日、少年は、父とともに担当者を訪ね(以下「来訪」という)、「○○工務店」に勤めることを約束した。しかし、同月27日担当者が少年を訪ねて(以下「往訪」という)面接したところ、「○○工務店」へは、24日から2日間行っただけで以後休んでいることが判明。担当者が、無断欠勤しないこと、家庭内暴力をしないことを指導したが、少年は、仕事について「気が進まない。」と、ツッパった感じで述べる。また、母は、少年の身勝手な行動や家庭内暴力等で、家庭崩壊を訴えた。

3 同月28日母から主任官に電話連絡があり、「保護観察になってから2日間は仕事に行ったが、その後行かない。『仕事に行くように。』と朝起こすと、『うるせえ!』『殺してやる。』『俺を少年院へ入れたければ入れてしまえばいいじゃないか。』と荒れて当たる。もう、どうしようもない。」旨電話があり、主任官は、9月2日少年宅を往訪する旨伝え、同日主任官が往訪したところ、「少年は、昨日から泊まりがけで出張している。」とのことであつた。

4 同年9月22日担当者から主任官に、「少年は、今月初め4~5日仕事に行っただけでその後は、家でブラブラしている。母に暴力を振うことはないが困らせている。威嚇するためか鉄パイプを家に持込んでいる。」旨の報告があり。同月28日指定の出頭指示書を送付した。

5 同月24日担当者が往訪し、指導したが、さらに、午後10時30分ころ母親から「少年がお父さんと喧嘩をしている。すぐ来て欲しい。」旨電話があり、再度往訪。喧嘩の原因は、少年が仕事に行かないことを父が法意したことが発端であった。担当者は、(1)仕事をすること、(2)家庭内暴力はしないこと、を指導した。

同月26日母から主任官に前記喧嘩の件で電話あり。「お父さんと少年がとっくみ合いの喧嘩をした。少年は、『ブッ殺してやる。』『庖丁を持って来い。一対一でやってやる。』などとわめいたり、下の子の手をねじった。このままではどうしようもない。少年院へ入れて欲しい。少年に対して殺意を抱きかねない。」と連絡があった。

6 同月28日主任官が少年に面接。(1)早期に就職すること、(2)住込み就職、更生保護会の活用について考えていくこと、(3)親には決して乱暴な口を聞いたり、暴力を振うような行いをしないこと、を指導した。

7 同年10月9日母から主任官に電話連絡があり、「少年は、9月28日観察所で指導を受けた後も仕事に行っていない。昼は寝ていて夜遅くまで電気をつけているので私は眠れない。3日前にも夜中の1時過ぎまでテレビをつけていたので注意したところ、『俺は俺の自由にする。人の指図は受けん。』と言う始末で、どうしようもない。」とのことで、少年を電話に出させ、仕事に行っていないこと、家族に迷惑をかけること、を注意したところ、少年が「保護会に入りたい。」と言うので、「○○会」での受入れを整え、同月12日架電して同日午後当庁への出頭を指示した。ところが、少年は「友人との約束があるので出頭できない。」と言うので、同月15日午前10時の出頭を改めて指示し、少年も承知した。しかし、指定した日時に連絡もなく出頭しなかった。

8 同月16日担当者から主任官に電話で報告があり、「昨夜10時ころ、少年と父親がとっくみ合いの喧嘩をした。少年は、仕事をしていないこと、また、昨日昼間往訪したところ、少年が家の前の遊園地で遊んでいたので声をかけたが無根していた。」との報告であった。

9 同月23日両親が主任官に相談のため来庁。両親から質問調書(乙)を作成したところ、少年は

(1) 9月14日以後、全く仕事をしていないこと、

(2) 同月24日、父が少年に仕事をしないことを注意したことが発端で、少年が「うるさい」等怒鳴って、電話線をちぎり、電話器を投げつけたりして、父ととっくみ合いの喧嘩をし、「ブッ殺してやる。庖丁を持って来い。一対一でやってやる。」と暴言を吐いたこと、

(3) 10月8日、父ととっくみ合いの喧嘩をし、父の腰を足で蹴り、「オヤジなんかオヤジとも思っていない。殺すのは簡単だ。いつでも殺してやる。」と暴言を吐いたこと、

(4) 同月9日、父が帰宅して上着を脱いでいるところへ少年が襲いかかり、首を絞めたり頭を殴り、父が倒れたところへのしかかって、更に、首を絞めたこと、

(5) 同月15日、些細なことから父ととっくみ合いの喧嘩をしたこと、

(6) 弟妹に対するしつけ、教育についても少年が突っかかってきて、両親に殴る、蹴るの暴力を振うので怖くて注意をすることもできない。子供に対して親として当然するべきこともできない。少年がいると弟妹までダメになってしまうので、少年を少年院へ入れて欲しい。少年の度重なる暴力のため両親とも庖丁で少年を刺し殺してやりたいと思うようになっていること、

などを供述した。

10 同年11月11日引致状請求。同日同発付を受けて、同月13日引致した。少年から調査したところ、少年を両親のもとから離して就職させることが必要と判断し、更生保護会への入会を指導したが、少年は自分で住込み就職先を決めると言うので、決まるまでの間更生保護会「○○園」へ委託保護した。

11 ところが、住込み就職が決まらなかったため、同月16日当庁への出頭を指示し、少年の今後の方針等を調査したところ、「更生保護会はいやだ。」と言うので「○○教会」(名古屋市○○区)で修養することを説得し、少年は承知した。同日、主任官が同道して少年を同教会へ連れて行き、同教会内を見学させ、同教会長から修養生活の説明を受けさせたところ少年は納得し、規則正しい生活、就労態度を身につけるため同教会で修養することになった。

12 しかし、2日後には「保護会に帰りたい。」と自分勝手なことを言うようになったため、主任官、同教会長から少年の置かれている立場、同教会に入った趣旨を説明し、引続き同教会で生活することを指導した。

13 同教会内での作業はしたものの、起床時間が昼ころになるなど怠惰な態度であったため、同教会長から決められた時間に起床するように何度となく指導されていた。昭和63年1月11日同様の指導を受けたことから、少年は、「こんなとこ出て行ってやるわ。」と反発。同教会長から「少年を迎えに来て欲しい。」との要請があり、同月13日当庁へ出頭するように指示した。

14 同月13日少年、父母が当庁に出頭。父母は、「現時点では少年と一緒に住めない。今帰って来ても前と同じように仕事をせず、ブラブラして暴力を振うと思う。」と述べる。少年は、「『○○塗装』(名古屋市○区)に住込み就職を頼む。それがダメなら更生保護会を希望する。」と述べる。主任官立会いのもとに、少年が同塗装へ架電したところ「主人が留守なので今夜返事をする。」との回答であったため、住込み就職が決まるまでの間、更生保護会「○○園」へ委託保護することにした。

15 同月16日同園の協力雇用主「○○工業」(豊田市)を紹介したところ採用が決り、同日住込み就職した。ところが、同年2月2日同工業のB氏が少年を連れて当庁に出頭。同氏が「少年は、体を揺すって起こしても朝起きない。欠勤する。そのことを注意すると黙り込んでしまい返事もしない。反省しているのかどうかわからない。働く気がないものと思われる。」とのことであった。少年も「『○○工業』には戻らない。

どこかへ住込み就職したい。」と述べる。主任官が、「○○運輸」(刈谷市)へ就職を依頼したところ「住込みで採用する。」との返事であったので、同日住込みさせた。

16 同月23日同社社長から電話あり。「少年は、昨日昼からフッといなくなり大騒ぎをして探したが見つからず、今朝、会社の近くの道路を歩いているところを発見し、理由を聞いたところ『会社が嫌になったわけではない。ただフッと働く気がしなくなった。』と言う。少年が仕事を続けたいと言うなら今後も雇うつもりでいる。」と語る。直ちに少年の出頭を求めたところ「格好が悪くて『○○運輸』へは戻れない。」と述べ、自分で住込み就職を決めると言うので、主任官は、(1)早期に住込み就職を決めること、(2)更生保護会での生活も考えること、(3)「○○運輸」への復職も考えること、を指導し、父母のもとへ帰した。

17 同月29日母から主任官に「少年は、未だに仕事をせず家でブラブラしている。」旨の電話連絡があったので、少年に3月2日午後1時当庁への出頭を指示。しかし、連絡もなく出頭しなかったので、同日午後4時45分主任官が少年に架電。不出頭理由について問い質したところ「急用ができたので出頭できなかった。明日から「△△遺輸」に通勤する。」と述べる。主任官は、(1)当面は通勤でも仕方ないとしてゆくゆくは住込みすること、(2)家にいる間、決して父母と殴り合いの喧嘩をしたり、暴言を吐いたりしないこと、を指導した。

18 3月7日母から主任官に「少年は、その後も仕事に行っていない。父ととっくみ合いの喧嘩はしないが口喧嘩はある。」旨の電話連絡があり、同日、3月11日午前10時指定の呼出状を送付したが、指定日の同日午前8時50分ころ、少年から「今日、これから仕事を探しに行くので面接の日を変えて欲しい。」旨の電話連絡があり、主任官は、直ぐに仕事を決めるように指導した。

19 その後も不就労であったが、担当者が、同月22日往訪して「○○工務店」で働くように指導したところ、同月23日から出勤することを約束。同月30日担当者が往訪したところ、少年は「2~3日体んでいる。」と言うので、担当者は明日から出勤することを厳しく指導し、少年も約束した。

20 同年4月5日母から担当者に「少年と父が争っている。」旨の電話連絡があり、担当者が直ちに往訪。父母は「弟妹のためにも少年を見捨てる。」と語る。

21 不就労が続いていたため、同月21日午前10時指定の呼出状送付。同日出頭したので就労指導したところ、少年は「明日から『○○工務店』に行く。今日、社長に話しをして来た。」と述べるので、必ず出勤するように指導した。

22 しかし、その後も出勤せず徒食を続けたため、6月6日午前10時指定の呼出状送付。同日午前9時20分ころ父から主任官に「呼出しに応じるように話したが、少年にその気はない。相変わらず家でブラブラしている。3月以降これまでに、3回刄物を持出したことがある。住込み就職ではダメなので少年院へ入れて欲しい。」旨の電話連絡があった。

23 同月8日少年から主任官に「今日、○○市場にある『○○青果』のCさんに面接した。社長がいないので結果は今週の金曜日(10日)ころわかる。」旨の電話連絡があったので、結果を必ず連絡するように指示しておいたところ、同月10日「採用が決まった。日曜日(12日)の夜から出勤する。」旨の電話連絡があった。

24 同月18日父母が主任官に相談のため来庁、質問調書作成したところ、少年は

(1) 仕事は、昭和63年3月終りころ1週間ほど「○○工務店」へ行ったほか、同年6月12日から2日間「○○青果」へ行ったのみであること、

(2) 少年は「何んで働かなあかん。たあけらしくて働けん。20歳までは親が面倒をみるのは当然だ。」と言っており、働く気がないこと、

(3) 少年が、3月に1回、4月に2回庖丁を持出したので身の危険を感じて逃げたこと、

(4) 4月23日午後9時ころ、父とのいさかいの上、父の普通乗用車のドア等を蹴り上げるなど同車の一部を破損させ、6月16日昼間、父が小遣いをくれないことに腹を立て、家の塀をバットで叩いて損壊し、同月17日午前7時過ぎ、父がステレオのボリュームが大きいのを注意したところ、外でごみ箱を蹴飛ばしたり、ビンを投げるなどの暴力を振ったこと、

(5) 弟妹に対して暴力を振い、弟妹はそれ以上の仕返しを恐れて何もせずにじっと耐えており、弟妹の教育上悪影響が出ていること、

(6) 少年を少年院へ入れ、その間に家庭の立直しを図りたいこと、

を供述した。

25 同月23日少年から主任官に「明日、『○○陸運』(名古屋市○区)へ面接に行く。」旨の電話連絡があり、さらに同月27日「『○○陸運』へ6月30日から出勤する。」旨の電話連絡があったので、主任官は継続就労方指導し、就労状況を見守ることにした。

26 ところが、同年7月11日母が当庁に出頭し、主任官が面接した結果、(1)昨夜、物を投げつけて家のガラスを割ったこと、(2)「○○陸運」には最初だけ行き、その後行っていないこと、(3)横暴に振舞っており、少年に対して腫物に触るようにしている。このままでは弟妹が夏休みになっても家におれなくなること、を訴えた。

27 同年7月19日引致状請求。同日同発付を受け、同月21日引致した。

別紙(二)

(通告の理由)

少年は、昭和62年8月21日名古屋家庭裁判所において、窃盗事件により当庁の保護観察処分に付され、現に保護観察下にあるところ、

少年は、主任官、担当者の再三の指導及び保護者の正当な監護に服さず、

1 保護観察開始後、殆ど就労することなく無為徒食の怠惰な生活を続けた、

2 昭和62年9月24日夕食時、突然「うるさい」などと怒鳴り電話線を千切って電話器を母に投げつけたり本箱を蹴飛ばし、止めに入った妹(G子、8歳)を蹴飛ばすなどの乱暴をなし、さらに、同日午後10時30分ころ父が帰宅し、少年の行状を注意したところ、父と取っ組み合いの喧嘩をし、「ブッ殺してやる。」「庖丁を持ってこい。一対一でやってやる。」などと暴言を吐くなどして警察職員の補導を受けた、

3 同年10月8日午後9時ころ些細な原因で父に反抗し腰を蹴るなどの暴力を振い、「オヤジなんかオヤジとも思っていない。殺すのは簡単だ。いつでも殺してやる。」と暴言を吐くなどし警察職員の補導を受けた、

4 翌9日、前日のうっ憤から父が帰宅して上着を脱いでいるところへ襲いかかり、父が外そうとしていたネクタイで父の首を絞めたり頭などを殴ったり蹴ったりし、父が倒れたところへ上からのしかかり首を絞め、止めに入った弟妹を蹴飛ばすなどの乱暴をなした。

5 同月15日午後10時ころ、父ととっくみ合いの喧嘩をし、暴力を振った、

6 昭和63年3月に1回、同年4月に2回庖丁を持出して父を威嚇した、

7 同年4月23日午後9時ころ、父とのいさかいのうえ、父の普通乗用車のドア等を蹴り上げるなど同車の一部を破損させた、

8 同年6月16日昼間、父が小遣いをくれないことに腹を立て、家の塀をバットで叩いて損壊した、

9 同月17日午前7時過ぎ、父にステレオのボリュームが大きいのを注意されたところ、外でごみ箱を蹴飛ばしたり、ビンを投げるなどの暴行をはたらいた、

10 同年7月10日午後9時過ぎ、父が部屋の電気をつけたまま隣の部屋へ行ったところ、「自分でつけたものは自分で消せ。」と怒って物を投げつけ部屋のガラスを割った、

ものである。

次に保護観察の行状等から見ると、開始直後から主任官、担当者の再三にわたる助言・指導に従わず、殆ど就労せず徒食を続け、父母に暴言を吐いたり暴力を振ういわゆる家庭内暴力を繰り返すため、○○教会に斡旋したが、同教会長の指導にもかかわらず反抗的な態度を示し、起床時間になっても起床せず自分勝手で怠惰な生活を続け、修養困難となり、その後住込み就職先の斡旋を繰り返したが、欠勤し、注意されると反抗的な態度を示し、また、理由なく突然職場放棄をし、帰宅するなどして徒食を続け、父母や弟妹に暴力を振っているものである。

以上のとおり本件を総合検討する時、少年の行状は、少年法第3条第1項第3号に掲げるイ、ニにそれぞれ該当することは明らかであり、その性格、環境に照らして、近い将来傷害、暴行等の罪を犯すおそれが濃厚である。

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